2006年12月10日日曜日

道路特定財源の一般財源化をめぐる二つの座標軸



やたらに問題が複雑化している。座標軸が混ぜこぜになっているから混沌化する。本質はもっと単純な問題なのだ。

道路特定財源に付いては,前にも書いたが時限立法である以上,時限が切れたらやめた方がいい。

日経:道路特定財源、いよいよ一般財源化に……許せん! 

クルマの保有している国民は,法外な税金を払っている。ガソリン税とか自動車重量税とか。大変な重税である。でも寝てても税金が入ってくるというシステムはとてもおいしいので,お上としては手放しがたく,それに地方利権議員も地元への利益誘導のためにはこれ以上のシステムはないと大賛成なので,結局やめない方がいいとのコンセンサスとなった。それも一つの判断である(と思う)。考えてみれば,中央からの税金で地方でぬくぬくと食っている連中に課税するためには,地方では当たり前の「家族一人一台」の自動車に課税するが最も合理的な税システムでもあるからだ。その寝ていても入ってくる税金の使い方こそが,本当の問題なのである。このへんに混同が見られる。

本当の問題は,全国の自動車利用者が払う途方もない金額の税金が,その税金を払っている自動車利用者の利益のために使われているかということなのだ。自動車利用者は、自分が平常使っている道が便利になればと思い,税金を払う。ところが払った税金は全く別ところで使われている。これが問題をおかしくしている。

例えば,道路特定財源であるガソリン税と従量税の過半数を払うのは,大都市住民である。道路がよくなればいいなと思って過酷な負担に耐えている。ところが実際にはその払った税金は,クマやシカしか通らない道路建設に消える。それで儲けるのは,農地を道路建設用地に転用・売却し,馬鹿儲けをする農村地主と、道路建設業務で大もうけする地方土建業者。笑いが止まらないシステムだ。当然利権化する。

道路特定財源をめぐる国民の気持ちは,壮大な同床異夢でもある。道路が必要かという問題(x軸)と、地方への所得誘導が望ましいかという問題(y軸)が、整理されず一緒に議論されてしまっている。

散人の提案。道路特定財源の使い道は,ガソリン税とクルマの重量税を払う納税者の判断に任せるべきだ。首都圏の道路は国際的に全く恥ずかしいくらいの渋滞ばかり。これをなんとかしたいというのがガソリン税と重量税を払う納税者の気持ちだろう。それを尊重しろ。族議員は国土計画なんて大それたことを言っているが,その前に現実の渋滞問題の解消に専念しろ。安倍総理の地元である山口県なんかに莫大なお金を投じて意味のないようなバカ高い高速道路を作る前にお金を払いながら毎日道路渋滞に苦しめられている都市納税者(ドライバー)の利便向上を真っ先に考えるべきだ。さらに都市部の電信柱と電線の撤去に道路特定財源を使うべきだ。電柱は景観を著しく醜悪にするし、ドライバーにとってもとても危険な存在であるからだ。

そういう用途に使われるなら道路特定財源を維持することには大賛成である。いままでのように地方の利権団体への所得移転の道具として使われるだけならば,大反対である。この問題は,所詮,ガソリン税と自動車重量税の使い方をめぐる,都市住民と地方利権団体の力関係の問題なのである。利権ではなくニーズのあるところに財源を配分しろ,それに尽きる。

Posted: Sun - December 10, 2006 at 07:01 PM   Letter from Yochomachi   Cabriolet   Previous   Next  Comments (2)

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